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海の見える街

フランス・フランス語好きの社会人受験生による備忘録。2017年春ニース語学留学・プロヴァンス地方一人旅の記録、短期留学後の日常、長期留学に向けてのあれこれ。「自分が楽に生きられる場所を求めたからといって後ろめたく思う必要はありませんよ。サボテンは水の中に生える必要はないし、蓮の花は空中では咲かない。シロクマがハワイより北極で生きるほうを選んだからといって、だれがシロクマを責めますか」(梨木香歩「西の魔女が死んだ」)

"Muslim!?"

ドバイ発ニース便のゲートが開くまでにお手洗いとお化粧を済ませようと女子トイレへ。

 

朝早い時間帯とはいえ同じようなことを考える女性はいるもので、個室は満室。けれどタイミングが良かったようで、並ぶことなくお手洗いを使うことができた。

 

そのトイレは、列を成す場所が広めに造られていた。手洗い場で手を洗っていると、タイル貼りの室内に様々な言語や物音が響く。

床でスーツケースを整理している女性たちの早口な英語。女子大生風の二人組が話す中国語。ヨーロッパ系と思しき母子の方からは、まだまだ練習中らしいABCの歌が。

 

その中でひときわ目立っていたのが、青い作業服を着てモップをかけている掃除のおばさんが話す言葉だった。アラビア語だったのだろうか。少なくとも私が知る言語ではなかった。

おばさんは機嫌が悪かった。ただでさえトイレの個室が混雑していて仕事が進められないのに、洗面台や列形成スペースを使う人たちがその場を水浸しにしたり、好き放題に陣取っているのが気に入らないらしい。ずっとぶつぶつ何かを喋っている。聞き取れはしないけれど、それがトイレ使用者への小言であることは理解できた。なんとなくおばさんに悪い気がしたし、落ち着かなかったので、早くこの場を出なければ、と思った。

 

トイレは今や列ができるほど混んでいる。洗面台で手を洗いながら、お化粧は他の場所でしようか…搭乗ゲート前のベンチとか…と悩む。けれど、公衆の面前で化粧するのは気が引ける。かといってこの混雑と、掃除のおばさんの醸し出す不穏な空気のなか、悠々と鏡を使う度胸はない。

 

結局、私は洗面台を半ば一つ占領しつつ、使用する人が来たら場を譲る形で身支度を整えることにした。

日本の公共施設にはトイレの中に化粧スペースが設けられていることがよくあるけれど、ドバイ空港のこのトイレで化粧スペースと呼べそうなのは、一番隅の洗面台の横だけ。カフェテーブル一つ分ほどのスペースしかないのだ。

 

ドレッドヘアがかっこいいアフリカ系のマダムがそこで肌の手入れをしていた。その隣で私は化粧品類を入れたジップロックの封を開けた。

コンタクトレンズを両目に入れ、日焼け止めを塗り、BBクリームを肌に馴染ませる。その間にアラビア語を話す若い女の子が一人、歯磨きをしにきた。黒いチャドルを着た三人の女性たちが洗面台を使いにきたのは、目元を汚さないよう慎重にマスカラを塗っていたときだ。

 

ああ、ムスリムの女性だ。やっぱりドバイに来てからこの服装の女性、たくさん見かけるな。チャドルって素敵だな。などと横目に思いつつ、一歩横に動いて場所を譲る。

 

すると突然、私の隣にきたチャドルの女性が洗面台に片足を乗せた。靴を脱いで、裸足だった。そうして蛇口から水を流し、足指を洗い始める。えっ、足を洗うんだ…と思わず凝視すると、彼女の連れの二人も、他の洗面台で並んで足を洗い始めた。

掃除のおばさんの声がキンキン響いた。明らかに、洗面台で足を洗っていることに腹を立てている。そんなことは他でやってくれ、と言うように、おばさんはドアを指し示したりもした。チャドルの女性たちはおばさんの声を半ば無視し、半ば適当に相槌を打ちながら両足を洗い終え、トイレを出ていった。

 

掃除のおばさんの不機嫌はそれからも続いた。新たにトイレに入ってくる人に向かって何かを言い聞かせ、個室のドアが開けば忙しく床にモップをかけ、手洗い場の端から端まで目を光らせた。

言わんとすることが伝わってくるだけに、早く化粧を終えてトイレを出たかった。

 

アイラインを引こうか迷ったとき、私の隣に大柄なアフリカ系と思しき眼鏡の女性がきた。今度はチャドルを着ていない。そのとき掃除のおばさんの金切り声が響いて、びっくりして鏡を見た。

隣に立ったばかりの眼鏡の女性が、先ほどのチャドルの女性たちのように、足を洗面台に乗せて洗っている。

おばさんのお説教がトイレ中に響いた。間髪入れず、眼鏡の女性に何かをまくし立て続けた。彼女の小言はそれまでひとつも聞き取れなかったのに、洪水のように溢れ出る彼女の怒りの中で、はっきりと聞こえた言葉があった。

 

" Muslim!?"

 

眼鏡の女性は、続くおばさんの言葉に"Muslim, Muslim, Muslim."とだけ相槌を打った。明らかに気分を害された様子だった。

 

その場の空気がピリッと張り詰めたのがわかった。強張った、と言った方が正しいかもしれない。掃除のおばさん以外、誰も何も話さなかった。

眼鏡の女性は洗った足を拭くと、静かにトイレを出ていった。記憶が正しければ右足だけだ。彼女がいなくなるのを見届け、掃除のおばさんはふんと鼻を鳴らしてモップ掛けを再開した。その場に残されたその他大勢のトイレ使用者たちだけが、"Muslim!?"という問いと、"Muslim, Muslim, Muslim."という答えに緊張し続けていた。

 

小さくはないショックを抱えて、私はトイレを後にした。アイラインを引くのはやめた。

 

眼鏡の女性が咎められるべきは、洗面台で足を洗うという(ある種の)マナー違反をした点であって、特定の宗教を信仰していることではない。マナー違反をした人たちとの共通項が、たまたまムスリムであるということだったのだ。信仰を否定されるような言い方をされる必要はないはずなのに。

 

この先の旅路、人種も国籍も宗教も入り乱れた世界では、きっとこんな光景はよくあることなのだろう。私自身が眼鏡の女性や、掃除のおばさんの立場に立つこともあるのかもしれない。

 

去り際に鏡に映った、眼鏡の彼女の腹立たしげな、それでいて悲しげでもある横顔が忘れられない。